AAA DOME TOUR 2017 -WAY OF GLORY-@ナゴヤドーム のお話。(LIVE内容には触れていません)
こんにちは、rosyです。
AAA DOME TOUR 2017 -WAY OF GLORY-@ナゴヤドーム に行ってきた。
(画像はイメージです。拾ってきたフリー画像です。悪しからず)
今回なんだかチケットがたくさん取れて、2グループ総勢8人で参戦。
私たちが参戦したのは、ドームツアー初日だったのだね。(MCまで知らなかったよ)
まだ絶賛ツアー中だから内容には触れないけれども、一般的には良席だったにも関わらず、演出とドームという広大な会場が相まって、ほとんどよく見えなかったぬ。
でも巨大モニターを最大限活用しながら楽しませてもらいました。
そして、これまで参戦したAAAライブの中で、オーディエンスが一番静かだった印象。
私たちの席の周りだけ大人しかったのかなぁと思っていたけど、別のエリアにいたあと4人の方もかなり静かだった模様。
ライブが終わって、あと4人と合流した後に、お互い声を揃えて、
「わたしたち、浮いてたわ」
色々な方から聞くけど、名古屋はあまりうぉぉぉぉーーーーー!!!
ってならない性格の方が多いのかしら。
(逆に、広島は信じられないくらい盛り上がると、よく聞く)
そしてそして、何より残念だったのは会場内外のオペレーションの悪さ。
・明らかにスタッフ足りてない
・本来配置すべき(人の流れの分岐点)に誰もいない
・上から拡声器でアナウンスするのみ
・まあまあ暑い
・会場の外、パニック&苛立ち状態
・でかでかと掲示されてる案内とアナウンスされてる案内が違う
・一緒に来てた友達が、拡声器でアナウンスしてる人の隣にいたスタッフに「案内が違うけど結局どちらに行けばよいのか」と聞いたけど、「自分もよくわからない、とりあえずそっちに進んで下さい」という感じの回答で、もう白目
・もぎりスタッフも足りない
・そこで明らかに渋滞
・中のトイレの案内もよくわかんない
当日が猛暑の日じゃなくて本当によかった。(ゆうて30度はあったはず)
猛暑だったら、死者が出てもおかしくないレベル。
本当にオペレーションが悪すぎて、イベント会社どこだーーーーーと。(仕事柄、気になる)
せっかく楽しみに来てるのに、始まりがあの感じでとても残念だった。
LIVEの内容が書けないため、完全に“側”のことになってしまったが、LIVEとか舞台とかって、ステージに上がる人が主役なのはいわずもがな、ライブスタッフや会場スタッフも主役と同じくらい、LIVEや舞台を創る大事な要素だと改めて思った。
AAAに限らず、LIVEや舞台が大好きだからこそ、そう思う。
今後に期待!!!!!
友達のエグい話を私にしてくるって、どういうことなんだろうか のお話。
こんにちは、rosyです。
私に、自分の友達の陰口や批判を言ってくる子がいる。
その友達(仮に華子とする)は、私はほとんど知らないけど1回挨拶した程度の華子の友達の陰口を言ってくる。
「ねぇ、○○(華子の友達で私は薄い知人)覚えてる?○○の彼氏って50歳バツイチ子持ちでさぁ、幸せになれるイメージ全然ないわw」
「○○(華子の友達で私は薄い知人)がさぁ、こないだいた男とあの後ホテルいったらしいwww」
「○○(華子の友達で私は薄い知人)まじで空気読めないし子供すぎ。オマエ中心に世界まわってねーから」
お、おぅ・・・・。
私、その陰口言われてる子たちのこと良く知らないし、言われたところで同意も否定もできなくて、まじで反応に困る。
そんなことを悶々と(いや、そうでもないか)考えていたところ、ちょうどDJあおいさんも似たようなことに関してブログを書いていた。
そもそも陰口の目的とは
自己の正当性を周りにアピールするためのものだったり
自分の劣等感を隠すためのものだったり
集団の秩序の内側を確認するためのものだったり
自分が陰口を言われないための威嚇だったり
承認欲求を満たすための代替行為であったりするもので
簡単に言えばそれは『可哀想な自分のため』だったりするんですよ
陰口の対象となる人はその人を満足させるための生贄のようなもの
うんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうん(首もげる)
そういうことかぁ。
正当性をアピールされていたのかぁ。
ひとの陰口、悪口には乗っからない。
うちはうち。
よそはよそ。
お母さんに習いましたね。
そういうことですね。(ちがうか)
に、似てるっ・・・・! のお話。
こんにちは、rosyです。
この2つ、サビらへんが、似てる・・・・・!
Nissy(西島隆弘)/ Playing With Fire
GENERATIONS from EXILE TRIBE /太陽も月も
ま、それだけなんですけどね。
結婚適合者チェック(ホンマでっかTVを観て)のお話。
- 好きな人の前ではおしゃべりになるか否か
- 「あ~ん」をしたいかされたいか
- 彼が視ている番組、興味がなくても一緒に観るか観ないか
- 彼が「「ショートカットが好き」と言ったらショートにするか否か
- 一目惚れしたことがあるか否か
好きな人の前ではおしゃべりになるか否か
「あ~ん」をしたいかされたいか
彼が視ている番組、興味がなくても一緒に観るか観ないか
彼が「ショートカットが好き」と言ったらショートにするか否か
一目惚れしたことがあるか否か
行こう、どこにもなかった方法で のお話。
まず、読みながら涙を抑えることに必死になる場面が何度か訪れた。
特に親の死の部分、最後の章は自分の経験と重なる部分が多く、何度かkindleをパタっと閉じながらではないと読み進められなかった。
どこか他人事で客観的だった親の死の後、身寄りのない地で温かさを感じた時に、ブワァっと涙と想いが溢れる感じ、とても共感した。(今書いてても泣ける)
最後の章は、一生懸命(本当に必死)な人に、人は勝手に動かされるんだということ。
もう、スーパー・エモーショナル!!
レビューでは自己満だと書かれている方もいるが、筆者である寺尾玄さんの人生を臨場感を持って感じることのできる映画を観ているような感覚になった。
身近な人の死を経験して、死を意識しながら今を生きる筆者の泥臭くも前向きで、まさに“いつでも今がフィーバータイムなんだ”ということが一貫して伝わってきた。
絶賛人生の迷路にはまり中の私にとって、この本の中で勇気をもらった言葉は、
一度できたことは必ずもう一度できる
好きでワーーーっとがむしゃらにやっていたことでも、色んな要因でそれが出来なくなってしまったり尻込みをしてしまうことって、大人になればなるほどあるのかなと。
ただ、この言葉通り、一度だってできたんだから絶対に無理なんてことはないんだなと思ったら、ポンとフランクに背中を押された気持ちになった。
立ち止まってないで、1歩でも進もう。